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2019.05.14

不動産金融業界のキャリア~その変遷と未来(上)「多彩なバックグラウンドから参入」

【住宅新報 2019年(令和元年)5月14日号 第5面に掲載された弊社代表執筆記事を発行元の許可を得て転載しています】

 不動産金融市場が我が国に登場してまだ18年余だが、その市場規模は30兆円を超えた。その間、プレーヤーとしてのキャリアはどのような変遷を見せたのだろうか。そして今後の展望は。不動産金融業界で働く意義も踏まえて、専門家が3回に分けて連載する。

 私は平成不況まっただ中の00年3月、ゼネコンから(株)クリードに転職をした。当時はまだ社員20名足らずで、外資系投資ファンドに不動産デューデリジェンスサービスを提供する無名のベンチャー企業だった。同社は01年2月、日本の不動産金融セクターで初めて株式市場に上場を果たす。不動産金融ビジネスが日本で広く認識された瞬間だった。

Jリート市場誕生

 同年9月にはJリート市場が誕生した。18年の時を経て現在は63銘柄(19年4月30日時点)となり加えてインフラファンドも6銘柄が上場している。

 近年残高を伸ばしている私募リートも29銘柄(19年3月末時点)、更に私募ファンド、不動産特定共同事業等を加えると不動産金融市場は30兆円を超える一大産業に成長した。

 我が国の不動産金融業界は元々何もないところにいきなり巨大な業界が誕生し、急成長してきたわけだから、舞台裏での人材事情にはその時折々、様々な特徴が見て取れる。そこで本稿では、不動産金融業界のキャリアについて,その変遷と今後を考察したい。

 不動産金融業界の黎明期である00年から04年、不動産金融業界に入ってきたのは即戦力の20代後半から30代の若手層であった。当時は経験者がそもそも存在しなかったため、様々なバックグラウンドをもった人材が流入した。

経験者が不在

 大きく分けると一つは不動産系で、ディベロッパー、不動産売買仲介、不動産賃貸仲介、不動産管理、不動産鑑定などだ。もう一つは金融系で、(不動産)融資、ストラクチャードファイナンス、不動産売買仲介等が主なバックグラウンドだった。

 私は当時不動産未経験のゼネコン営業社員だったが、MBA留学したことにより英語ができ、IRR計算などに馴染みがあったことなどから外資投資ファンド向けの不動産デューデリジェンス要員として採用された。入社時34歳だった。

 実は同時期に不動産金融業界に入った私と近い年齢層が当初から管理職・経営層に属し、十数年経った今なお多くがそのままその領域で活躍している。(株)クリードの社長も当時35歳で、今でも精力的にアジアで活躍している。不動産金融業界の第一世代と言える。

第二世代の不幸

 見方を少し変えると、第一世代から少し遅れて05年頃以降若手としてこの市場に入ってきた層(現在30代後半から40代前半)は、入社当初からずっと少し上の世代が管理職・経営層として君臨しており、それなりの年齢になっても相変わらず組織の最若手ということも珍しくない。何年経験を積んでもプレーヤーの域を出ず、マネジメント経験を積めないことを悩み将来に不安を抱えている。この層を私は不動産金融業界の第二世代と呼んでいる。

 うめこうじ・まなぶ=89年九州大学法学部卒。住友建設(現三井住友建設)入社。法務、海外営業に従事。94年MBA取得。その後クリード、オランダ系再就職支援会社、人材会社などを経て06年に不動産金融・不動産ファンド業界に特化した転職エージェント、エムユーシーを設立。